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  • surrealatras

スペインでは車に乗らず 歩くことがオシャレ~~!?


【flashback2005】

 久々に左脳使ったな~~今日の会議は。 ”「持続可能な開発」の媒介者たち” という愛・地球博のシンポジウムに参加してきた。簡単に言うと万博のコンセプトにある「自然の叡智」「持続可能な開発」などを各国のお偉いさん達がお喋りする会議。

 愛・地球博 国際シンポジウムは今回が5回目でこれが最後。 私が万博開始直後に行き、すごく心に残ってるのが初回。心に残った言葉は

「今 私達が目にしている木、使っている木は先代からの贈り物」

今でも、パビリオン前で来場者の皆様に、マダガスカルの説明(環境破壊の実態と環境保護の取り組み等)をする際の屋台骨となっているメッセージ。

 シンポジウムは毎回 お題が少しずつ変わるけど だいたい” 今後どうやって地球で過ごして行くか!?"みたいな人類の命題を 皆でディスカッションしています。

 閉幕直前で何かとバタバタ忙しいけど、それでもこの会議には絶対に参加したいと思った。前回のような " 心に響く言葉 " を欲していたのでないか、いや、今回のそれは、 " 鼓舞する言葉 "だったのかもしれない。

 この 今の自分には“ もったいない ” 程の貴重な経験を通じて得た(受け取ってしまった)価値観を効果的に保っていけるのだろうか、万博が終わった後の日常生活に、学んだことをしっかり生かしていけるのか、と心もとない自分自身に対して。そんな 溢れんばかりの“ 心配 “ の中にも 少しばかりの何か “ 使命感 “ のようなものが私にも芽生えていた。

そもそも「持続可能」とは、

石油とか石炭のような燃料資源などのかぎりあるものに頼りすぎず、それにかわる代替燃料の確保だったり、深刻な二酸化炭素増加などを生み出している森林伐採の食い止めだったり、あるいはそれらに伴う生物多様性の維持であったり。

 しかし、発展の代償として失われてきたものの著しさが、 俄然 注目を浴び、気がついたら保護せざるを得ない状況にまで追い込まれた人間社会が、

開発を続けながら自然との共存を計ること だと思います。

今日も 科学者、最高裁判所長官、外務大臣 しいては沢山の人がいらっしゃり自分の考えをお話になっていきました.序盤はあまりにも長く抽象的な話が多かったため、寝たり起きたりの “省エネ” 出席でしたが 観光業に興味がある私は、 海外版 “ 地球の歩き方 “ 的な「Lonly planet」、の創設者Tony Willer さん(Australia )のお話では目がぱっちり冴えた。

 なぜなら彼の発言は、自分がまさに気に掛けていたこと、発展途上国の観光振興とその弊害をテーマにしたものだったからだ。

 「タイ、ネパール、カンボジアなど中央アジアなどの旅行者大増加に伴う以前までそこにあった風土が失われるんじゃないか!? もしくはたくさんの自然が切り裂かれ、朽ちる道を辿っていくことは地球単位で見ると、良くないんじゃないか!?」

という思い。現に私は、まだ行ったことはないが、同じような気持ちを「マダガスカル」にも危惧していた。

商業化されていくことで、本来のの魅力が失われていいくのではないかと。アニメ映画や万博の影響で開幕直後とは明らかに違うお客様の反応。今後マダガスカルに行かれる方はきっと増加していくだろう。

 政府代表者の役割は貿易振興などを始めとした国家間の交流の促進。パビリオンの表現の中には当然観光アピールの要素も大きく含まれてきます。それらを含めたその国の文化・伝統の紹介などをアテンダントの役割として我々は日々行って行く。

 その国の魅力を思いっきり伝えつつも、それとは矛盾した感情、その魅力が将来商業化されていき、その国本来の魅力が失われていいくのではないかという懸念も同時に感じていた。勝手に先回りした" 変な "

防衛意識 。そんな心境を感じていた中、彼の表明を聴いた。

「観光化は、現地の住民が望んでいることであり、そうでなければ生きていけない人等もたくさんいるということ」

さらに

 「世界規模での自然への配慮を考えても「自然が切り開かれてしまう嫌いはありますが  屋根の上にまで人が30人位乗ってる交通バスで壊れやすく遥かに基準を超えた量の排気ガスを出すオンボロカーから適切なものへ変えることの出来る資金を生み出すことにもつながる」

という風に捉えるTonyさんの考え。

 それと比べると、私の思いは先進国民の” 典型的な驕り “ なのかとも思えてくる。

 しかしながら、Tonyさんの意見をもってしても「持続可能な開発」という前提においては十分とは言い切れないt思う。あくまで “ 開発 “  と ” 持続可能 “  との間に 絶対的な 共存関係 はなく、しばらくはバランスをとっていくしかないように思えます。

「 I am always lonely」というのは、ある国の環境大臣のコメント。

 発展を目指す国内事情に対し、それを鈍化させかねない、マイナス材料(環境保護等の課題)を国際会議から持ち帰ってくる環境大臣の肩身の狭さを表現した言葉だ。その立場はどの国でもある程度一緒なのでは!?と 

確かにその " 孤独 " は想像できる。 

 しかし、持つべき判断力、然るべきバランス感覚は、" 国益 " においてではなく、地球の健全な存続の上において、地球に生存する生命全体のたった一部でしかない人間において、" 地球益 " で計るべきである。

 「Toyotaのプリオスのデザインが “ かっこいい “ から買うんであったり、300円で売ってる流行の(?)白いブレスレットが “ スタイリッシュ “ だったり、単にサッカーの” 中田がつけてるから買う “ のであってもいいと思います。」

と、環境に目を向けてこなかった自分なりの正直な感想を述べた。

「でも、これからは、地球に優しいことを考える、大気ガスの排出が少ない『Toyotaのプリオス』に乗る人が ”オっシャレっ~~ ” だったり、

“ 世界の飢餓に苦しむ人らの援助につながる “ 『白いブレスレット』 がもたらす ” 影響力 ” を理解し、自分の “ 300円の使い道 “ を自慢しあう渋谷の女子高生なんかを見てみたい。」

と、身近な理想を述べた。そして、こう呼びかけた(口から自然と出てしまった)。

我々の生態の中に、" きっと " 秘められている、" 地球に対する役割 "

それを " デザイン " していくことが、われわれ 「持続可能な開発の媒介者たち」には求められている。

                                 (2005年9月19日当時のブログより)


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